最終話

【視点:三崎新】 

 

蒼くんと二人、教員室から逃げ出し、遠くへ、遠くへ走り抜ける。

血まみれの包丁を握った男は暫く包丁を振り回しながら追いかけてきていたが、やがて距離が出来ると諦めて戻っていったようだった。 

 

「なんか広場にきてはいけませんよとか言ってた?」

「わかる、言ってた」

「でも明らか諭す感じの姿勢じゃなかったよね…無理」

「うん…わかる、怖すぎた」 

 

たどり着いた先には、偶然か必然か、さきほどの男が言っていた広場だった。

中央には、血に滴る木の台。 

 

それを二人で見つめていれば。

 

…ふと、気が付いたとき。

そこは広場ではなく、海のほうにあるはずの神社だった。 

 

目の前では宮司らしき男がご神体へ向かい。

それを囲むように、複数の大人が様子を見守っていた。 

そうして、宮司が祝詞を唱えはじめたとき。 

 

ばしゃり。 

 

大きな水音が響いた。

ご神体があったはずの場所に、あの、……あーちゃん先輩を食べた、人魚がいる。

一度見たら忘れられない、醜悪な姿。

真っ黒な鱗に覆われた下半身と、無数の蛆に覆われた顔面。

細長く大きな手。 

宮司の祝詞が進むのと同じく、人魚は苦しそうな声をあげはじめる。

周りにいる彼らは喜色の笑みをたたえ、封印が成功するぞと喚いていた。

けれど、祝詞を唱え終わろうとした瞬間。 

 

人魚が、口を開いた。 

 

「ゆるさない」 

「許さない許さない許さない許さない許さない許さない!!!」 

「わたしのこをよくも、よくも、このまま封印されてたまるか、皆皆つれていってやる!!!」 

「この村に未来などあるものか!!呪われてあれ!!!!!」 

 

怨嗟の叫びが響き渡り、鼓膜をびりびりと揺らす。

そうして、…必死に儀を終わらせようとした宮司が、最後の言葉を唱えた瞬間。 

 

ばたり、と。

宮司を含め、目の前にいたはずの村人達が、全員その場に倒れ伏してしまった。

静寂が戻る。

さきほどまでいたあの人魚もいない。

目の前にある人々は皆……死んでいるように、見えた。 

 

はっと気が付けば、元いた広場へと戻っている。

蒼くんのほうをちらりと見、目線を交わす。 

 

「…なんだったんだ…?封印しかけて、失敗して…呪われた…感じだよな…。いやまぁ、自業自得って感じなんだけど。人魚のこどもにも何かされて…封印されそうになって、でも失敗して…?」

「…返して欲しいみたいだから、親子一緒にしてあげるのが良いのかもしれないのかな」 

「…そっかぁ…。御神体の所に人魚…がいたように見えたし、そこに子どもをそばに置いてあげるべきなのかもね。子ども…子供かぁ…」

「たださっきみたいに、同じこと繰り返すように儀式するのは、絶対駄目だろうし。封印も良くないのかも…わかんないけど」 

「そだね…封印の儀をしたら更にお客さんを怒らせるだけなんだろなぁ…で、自分らが呪われると、」

「同じことの繰り返しだ…お客さんはきっと苦しかったろうし、どうにかしてあげたいよ…何が一番の望みなのかな。やっぱり子供?」 

 

子ども、子どもか……。

そういえば、りぃちゃんがそんなようなことを言っていたような…? 

 

「多分ずっと子どもについて言ってるから子どもを返して欲しいんだと思う。ほら昨日の黒板でも言ってたし、りぃちゃんも子どもについて言ってるのを聞いたらしいから」

「そうだよね……くぎさんに聞いてみる?おれちょっと頭こんがらがってきたから、整理がてらに色々聞きたい」 

 

__…… 

【視点:語伽アガタ】  

 

ゴン!!!!ゴン!!! 


くりゅと二人で倉庫の扉の先、地下を見て回って。

さあ戻ろうかとした瞬間、奇妙な音が足元から響いた。 

その姿を確認するより先に、目の前が暗くなる。

くりゅがじぶんの目を塞いでいた。 

その間も、何かを打ち付けるような音は止まない。 

 

「なに、ねえ、なんの音?」 

 

くりゅは何も見ない振りをしようとしているのか、じぶんの背を外へ出ようとする。 

 

「お許しくださいお許しくださいどうかどうか申し訳ございませんお許しください」 

 

「待って、だれか…謝ってる、声……。人、いるの?……神社の、人?あれ、他の…影じゃないよ、人、かも知れない」 

 

下は見えないまま、音がするほうへ指を向け、くりゅを見る。 

こくん、とくりゅが頷いたから。

その人が気付くようにと、手に持っていた杖をコンコンと打ち鳴らす。 

すると、…気づいてもらえたのか、その人が立ち上がったような気配がした。

じぶんを守るように、くりゅが目の前に立つ。 

 

「…………お許しを、」 

 

そう言葉を発したきり、もう誰かの気配はしなくなっていた……。 

 

_____ 

 

夜。 

 

眠ろうと布団に潜り、目を閉じる。

様々な声が頭に響き、ずっとずっとずっと眠れなくて、それで、 

その中に。 

ゴン!!!ゴン!!!というあの音が混じる。

視界の隅に、土下座をするようにして、頭に床を打ち付ける男がいる。 

ぞわりと、身の毛がよだつ。

もう、限界だった。 

 

「_ッ!!ぅ゛、ああぁあ!!!!」 

 

ばっと勢いよく起き上がり、荒い息を吐く。 

 

そして、___ふと、目の前に、いるはずのないものが見えた。

まだ、ここには来れないはずの。

奇妙に細長い痩せこけた手を生やした……人魚が。 

 

大きな黒い掌がこちらへと伸ばされる。 

「…ぃ…ッ嫌だ!!さわん、ないで!!」 

 

両腕で顔を庇うようにぎゅっと自分を抱きしめる、その腕ごと、真っ黒な手に覆われて、 

視界が、黒く染まる。 

 

暗転。 

 

ふと、気が付けば…目の前に、おれの、体が。 

 

「……え、」 

 

今おれは人魚に体を掴まれているはずなのに、目の前には確かに自分の身体があって、何も見ていないかのような空虚な目をしたおれが、そこにある。 

 

「なんで俺の身体_ッ嫌だ離して!!離してください!!やだ、やだやだやだ……!!!」 

 

やだ、やだ、誰か、気づいて、ねえ。 

 

「誰か助けて、ねえお願いです、だれか!」 

 

「……くりゅ!!くりゅ助けて!!!」

 

くりゅなら。

彼女なら来てくれるはず、お願い、ねえ、 

 

「くりゅ届いて、違う絶対気付いてくれる、はず、だって一緒にいるって約束__、」 

 

___……… 

【視点:雪成氷華】 

 

慌てて客間へと戻ってこれば、目の前にいる彼は、すっかり抜け殻のようになっていた。 

出かけた先の鏡に、彼がいたから、何かあったんじゃないかって。

そうしたら。 

どれだけ話しかけても触れてみても、何の反応も返ってこなくなってしまっていた。

まるでお人形さんみたいに。

心臓は脈を打って、呼吸もしているのに。 

 

どうして。 

 

「アガタくん、アガタくん……何があったんですか……どうして何も……言ってくれないんですか………。ボクです、氷華です………アガタくんが大好きな、氷華ですよ…アガタくんのこと、弟みたいで…かわいいって……思って……」 

 

優しく抱きしめる。

それでも、暗く澱んだ目が、ボクを見ることはなかった。 

 

「お願い……目を覚まして………アガタくんに、戻って…………」 

 

____…… 

【視点:七守くるり】 

 

アガタが、何の反応もしなくなってしまったから。

自分にできることなんて何もなくて…仕方なく、一人出歩く。 

 

誰もいない待合室。

大きな姿見をじいっと見つめる。 

ふと……自分の後ろに、誰かがいることに気がついた。

見間違えるはずがない、よく知っている姿。 

 

水色のポニーテールをした、最後までごめんなさいをすることが出来なかった彼女と。 

フードを被った、目を惹く容姿をした彼。 

 

ふと、耳元で、彼の声が響いた。 

 

「ねぇ、なんで助けてくれなかったんですか?」 

「一緒にいるって言ったのに」 

 

ばっと振り返る。

…誰も、いない。 

 

「ア、ガタ………」 

 

「ごめん、なさい。ごめんなさいごめんなさい………っ、守るって言ったのに、助けるって言ったのに………わたし、わたし………っできなかった、」 

 

震える体を抱きしめ、首を振る。

ごめんなさい、ごめんなさい、一緒にいるって約束したのに。 

 

「どうしたら、よかった?あのとき、アガタのいうことを気にせずにアガタを連れて外に出ていれば、そうすればよかったの?もっと早くアガタの目を塞いでいればよかったの?」 

 

精一杯庇ってきたつもりだった。

まだ足りなかったのだろうか。

だけど、でも、そんなの、 

 

「……は、今言ったってどうしようもないじゃない………」 

 

____………… 

【視点:久々利李々】 

 

「……朽木、いる……?」 

「…………はい、いますよ。……李々ちゃん?…どうかしました?」 

 

ずっと考えていた、自分にできること。

この異界から出る方法。

それを確認したくて、座敷牢へと足を運ぶ。

黒い染みがじわじわと浸食し、日に日に弱っていく彼に会いに。 

 

「……朽木、ずっと元気ないね。……もうすぐ、消えちゃう……?」

「そうです、ね………多分 あんまり時間、ないかな……と」 

「……そっか。あのね、お客さん。朽木のお母さん、であってる?」

 

少しばかりの確信をもって尋ねれば、朽木は返事の代わりに優しく微笑んで頷いた。

前に、お客さんは”朽木にとっては”悪いものではないように言っていたから。

きっと、そうなのだろうと思って。 

 

「朽木のお母さん、多分ずっと、朽木のこと探してる。でも、朽木、ずっとこの村にいるからお客さんに見つかっていないのは変だと思う……。お母さん、もしかして朽木のこと見えない?」

「はい、……見えないし 声も聞こえないですよ ずっと、話しかけてるけど、…………」

 

悲し気に眉を下げる。 

「……そっか。朽木、お母さんとお話したい?」 

「?話すことはできないですよ。…この異界にいる間毎日試して、散々理解させられてるので………ただ、……あのひとが、あんな姿のままなのはかわいそうだし、…………己も、還りたいな……」 

 

心の底から母を案じているようだった。

……なら、きっともう、すべきことは分かっている。

お客さんの、望みを叶えること。

でも、そうしたら、朽木はいなくなっちゃう。

わたしの友達が。  

 

「……………そっか。あのね、朽木がここを出られたら、いつか会いに来てくれるって話、信じてもいい……?どれだけ時間が掛かってもいいから、いつかまた会えるって、信じてていいかな……」 

「うん。……約束しますよ、きっとまた会いにいくから」

 

ゆるりと笑って小指を差し出される。

自分の小指を絡め、ゆびきりげんまん、…と手を振る。 

 

「……うん、約束。……じゃあ、私、がんばるね。あなたとお母さんが一緒にかえれるように、がんばる」 

 

______ 

 

「……よし。じゃあ、あとは頭、かな。頭、井戸にあるの?」 

 

蒼と香澄が持っていた木箱を預かり、残るのはあと一つだけ。

頭の入った箱。 

来夏と協力して、井戸の中から引き上げることにした。 

 

「井戸の中。でもこれ退けると…。ま、いいか。やろう。俺はロープ持ってるからリリが下。いけそう?」

「……?うん。わかった、行く」 

「気をつけてね」

「任せろ」

 

親指をぐっと上に向け胸を張る。  

 

ロープを伝い真っ暗な井戸の中へと降りていけば、水の中に沈んでいる木箱に気が付いた。

 

「あった。……来夏、持った!」

「ん!」

 

声をかけて、上へと戻っていく。 

これで必要なものは全部そろったはず。 

 

「帰還」

「おかえりりり」

「ただいま。ちゃんと持ってきた」

「さて、骨は無事かな」 

 

まだ水に濡れた木箱を開く。

中にあるのは、一部が黒く変色し脆くなった頭蓋骨と、そこに集る、無数の蟲。

うじゃうじゃと蠢くそれらへの対処法は知っていた。 

 

「虫、いるね。胴体の方もかな」

「燃やそうか」

「そうだね、ちょっと可哀想だけど……背に腹はかえられないし……」 

 

頭の箱と同じく胴体の入っていた箱にも蟲が集っていた。

他の部分は蒼が燃やしておいてくれたみたい。 

マッチを取り出して、火をつける。

なぜか来夏はにこにこと笑顔で火を見つめていた。 

 

「……なんで楽しそうなの?」

「声どんなのかなって」

「そっか……」 

 

そんなに面白いやつでもないと思うけど。

しゅ、と擦って燃えたマッチの火を蟲へと移す。

人の断末魔みたいな嫌な声を遺し、それらは真っ黒な煙になって消えていった。 

 

骨を綺麗にし終えたから、後は。 

 

………お客さんに会わなくちゃ。 

 

______

 

深夜、月明りだけが真っ暗な世界を照らす時間。

来夏と二人、綺麗にした朽木の全部の骨を手に海へと向かう。 

お客さんに、会うために。

 

「……お客さん、来るかな」

「くるでしょ」

 

もう一月ほど経つ………あよが、殺された場所。

神社のすぐそば。

ただじっと、お客さんが姿を現すのを待っていた。

上手くいくかどうか分からない。

保険の為に人形を貰ってはいたけれど……。

どくどくと、心臓の鼓動が妙に大きく聞こえた。 

 

やがて、ばしゃ……と大きく波が揺れる音が響く。 

 

「……!」 

 

あよが死んだ、あのときと同じ。

暗く光る鱗に覆われた下半身。奇妙に痩せこけた細長い腕。顔中を白く蠢く蛆に覆われ、粘ついた黒髪を広げた人魚。

それが、ぐるりと頭をもたげ、陸へと上がってくる。

わたしと来夏のほうへ向かって。 

 

「きた……!」

「わぁ…」 

 

ぼろぼろと、顔から蛆を滴らせ低く唸り声をあげながら、ゆっくりと這ってくるそれに、緊張で体が強張る。

そのとき、後ろから、足音がした。 

 

片足に軽く何かを引き摺るような、特徴的な足音。

暗い夜でもぼんやりと見える赤い着物。 

 

「座敷くん?」

「朽木?」 

 

「………こんばんは?」

 

朽木は片手に鉈を持ったまま、首を傾げる。 

 

「ばんわー。いや挨拶してる場合?」

「こんばんは……?」 

 

ずるずると、人魚が此方へ向かって来るのを、ぼうっと眺め、朽木は人魚を指さす。

 

「逃げなくていいんですか?……なにか、用事が?」

「あ、そう。骨、をお客さんに返しもの」

「お子さんを返すんだって。そう、りりがね?」 

 

勇気を振り絞って足を一歩前へと進め、集めた骨の入った箱をお客さんへと差し出す。 

「……これ。多分、貴方の探してるもの……人」 

 

ぴたり、とお客さんの動きが止まる。

わたしの前に立ち止まって、じい、っと骨を見つめ………。

やがて、真っ黒な腕が、ゆっくりと伸ばされる。 

 

真っ黒な腕が骨に触れた瞬間。人魚の姿が、少しずつ変化していく。 

 

「っ!」

「……!え、なに」 

 

巨大な躰は少しずつ小さくなり、鱗は剥がれ落ち、顔に集っていた蟲も消えていく。

……やがて、すっかり普通の人間のようになった彼女は、朽木にどこか似た顔をしていた。 

 

「……朽木の、お母さん?」

「あ…………嘘。え……………………………?はは、おや…?本当に?」

 

珍しく驚いた様子の来夏は、朽木と彼女を交互に見ていた。 

彼女はぼろぼろと両目から涙を流しながら、わたしから骨を受け取ると、きつく、ぎゅうと抱きしめる。

 

「……………」 

 

「ごめんなさい、……ごめんなさい、………ありがとう、わたしの、」

 

そう、泣きながら。彼女の姿は少しずつ薄く、透けていく。

……消えてしまうのかな。 

 

「…………よかったね」 

 

どういうことかと来夏が朽木のほうを見ていると、朽木は困ったような、どこかほっとしたような顔をしていた。

 

「会えた?」

「……うん」

「……いや、座敷くんの姿は見えてないのか。何か言いたいことある?伝えとくよ。りりが」 

「?うん」

 

急に丸投げされた。

勿論代わりに伝えるくらいする……きっと、これで最後だから。

朽木はほんの少し迷ったような様子を見せてから、 

 

「………伝えたいこと? そう、ですね……次に生まれてくるときは、どうかしあわせに。だいすきだよ、と。……それだけでいいです」

 

そう、ただ静かに笑っていた。

「……わかった」

 

お客さん……いや、朽木のお母さんのほうへと向き直り、いつも届かなかった彼の言葉を伝える。 

 

「…………あのね。朽木、あなたの傍にずっといたの。今もいる。それでね……」

 

彼女は顔をあげ、わたしを見つめて。

言葉に耳を傾けていた。 

 

「『次に生まれてくるときは、どうかしあわせに。だいすきだよ』って」 

 

そう伝えた瞬間。

彼女は目を見開き、「どうして……わたし、この村を 全てを呪って 化け物になったのに、」と震える声で言う。

ゆっくりと消えていく自信の体を動かして。

彼女には見えない朽木の姿を、探しているのだろうか。 

 

「ごめんなさい、一緒に連れていってあげれなくて。助けてあげれなくて、……わたしも大好きよ、██、」 

 

それっきり。

村を呪っていた人魚の姿は完全に消えてしまった。 

 

同時に、村の様子が変わっていく。 

 

「あ…………」 

 

夜の中、蠢いていた異界の村人たちが海へ、この場へと訪れ、さきほどの彼女と同様、普通の人間の姿になり……そうして消えて行ってしまう。

解放されたのだろう。

 

「人間…人間に」

「……、みんな、かえるんだね」 

 

その中に。

よく知った姿があった。

ゆらゆら揺れる水色のポニーテール。

 

「あよセンパイ!!!!」

「………あよ!」 

 

彼女もまた、他の村人たち同様、静かに消えていく。

 

「あ………………、センパイ……」

 

「センパイ、ありがとうございました」

 

来夏は俯いて、あよに声をかける。 

 

真っ黒く濁っていた海は、澄み渡った青へと戻っていく。

その隣で、じっと見ていた朽木が、口を開いた。

 

「……アガタさんは、まだ体が生きていたから。きっとすぐに魂がそちらに戻り、意識を取り戻すはずです。……四折さんは、……お母さんや他の人と同じ。解放されて、きっといつか、来世でしあわせになることを、願いましょう」 

 

「…………あよ……」

 

ぎゅっと目を瞑り、手を合わせて祈る。

こんどはどうか、しあわせに、と。 

 

「……………この世界見ちゃったら信じるしかないのかな。…ん、でももう会えないから。俺はこの出会いを大事に仕舞っとくよ。」

「ふふ。そうですね…」 

 

ふと、朽木が頭につけていた赤いリボンをしゅる、と外し、わたしに手渡す。

朽木の身体も、透け始めていた。 

 

「……これ?」

「約束の印。嬉しかったですよ、おともだちになれて。……またいつか」

「…………うん。待ってるね」

 

リボンを手にぎゅうと握って笑顔を作る。

ほんとは、涙が溢れそうだったけど。

最後は笑っていたかった。 

 

「えー。りりだけずるい。なんてね。俺は友達でも友達じゃなくてもいいや、またね」

「ええ……」

 

朽木は来夏の軽い返しに困った顔してからくすくすと笑って。

そうして手を振った。 

 

「それじゃあ、さようなら。……氷華ちゃんも友達になってくれたから、ありがとうって伝えておいてください」

「……わかった、必ず伝えておく。……またね」

「またね、」 

「ありがとう李々ちゃん。またね、……ちゃんと自分のこと大事にしてあげてくださいね。次に会うときのためにも」 

 

目立つ赤は静かに夜に溶け。

そうして……友達の姿はもうどこにもなかった。 

 

「うん……もう、きっと大丈夫」 

 

消えていった空を見つめて呟く。 

 

ゆるやかに夜が明けて、朝が来る。

太陽の光に照らされて見える世界は、今までいたあの異界ではなく。

最初に見た、緑に覆われた廃村だった____……… 

 

_______…… 

【エピローグ】 

 

9月3日 

 

全てが消えてしまった後。

来夏と李々以外の皆もやがて目を覚まし、そして異界から解放されたことを察した。 

一度は魂を連れていかれてしまったアガタも、意識を取り戻した。 

 

鱗や頭の染みや火傷や首の傷……穢れにより負っていた異形は消え去って。

異常な人肉への欲求ももう存在しない。 

 

……残念ながら、喪った腕は戻らず、刺された傷は残されているけれど。 

 

緑豊かな村は一月以上の悪夢が嘘だったかのように美しく、朝日が貴方がたを包み込む。 

疲れ切った体を引き摺り、景彦先生の車でどうにか村を出れば、大人数が一度に行方不明になったからか、大きな騒ぎになっていたようで。

あちらの世界では永遠に8月14日を繰り返していたとしても、こちらではきちんと時間が経っているから。

一月以上10人の生徒と教師が行方不明だったのだ、当然のことだろう。 

 

怪我人もおり、皆食事もまともに取れずにいたためか、病院へと運ばれ、その後事情聴取を受けたが。

荒唐無稽な話を信じてもらえるわけもなく………。 

 

実際に警察があの村を捜査しに行くこととなったが、……村からは、何十人もの白骨化した死体が出てきたらしい。

その中には、四折あよのものもあったが、とても一月しか経っていないものとは思えず。

解決不可能、不可思議な事件として、物語は幕を閉じた。 

 

___________ 

 

ひらひらと桜の花弁が舞う。

大学を卒業し数年が経ち、貴方たちは同窓会として再び顔を合わせていた。 

 

その帰り道。 

 

ふと、隣を通っていった二人の子ども。

その片方の…黒髪の男の子が、一瞬だけちらりとこちらを見た。 

 

どこかで見たような、……? 

 

彼はぺこりと頭を下げると、小さな声で何かを言って___それから、先に行ってしまった同じ年頃の水色の髪をした女の子を追いかけていった。 

海淵

END:A

 

「おかえりなさい、またいつか」